飯豊 横峰、三国岳、草履塚、飯豊山 2010年6月12日

所要時間
 5:51 川入キャンプ場−−5:59 登山口−−6:25 下五十里−−6:38 中五十里−−6:53 上五十里−−7:12 笹平−−7:24 横峰−−7:42 水場 7:50−−7:57 1430m(休憩) 8:06−−8:37 三国岳−−9:06 七森−−9:30 種蒔山(直下)−−9:38 切合小屋 10:00−−10:30 草履塚−−10:41 姥権現−−11:23 飯豊山神社−−11:38 飯豊山 12:34−−12:46 飯豊山神社−−13:22 姥権現−−13:38 草履塚−−13:51 切合小屋 14:36−−15:46 三国岳 16:07−−17:13 横峰 17:27−−17:59 中五十里 18:20−−18:46 登山口−−18:54 川入キャンプ場


概要
 旧山都町(現喜多方市)御沢登山口から飯豊山を日帰り往復。残雪状況が気になったがルート上に問題となるような残雪は無くアイゼンの出番は無かった。横峰より先で残雪が見られるようになり、三国岳より先では稜線東側に豊富に残雪があった。真夏に登るよりも涼しくて静かでよかった。このルートを日帰りするには相当な体力が必要で、たぶん剣岳早月尾根日帰りよりも体力的には厳しいだろう。

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 飯豊に最後に登ったのは10年くらい前であろうか。その時は川入から三国岳経由で種蒔山と疣岩山を往復しただけなので飯豊本山までは足を延ばさなかったが、90年台半ばに主稜線は縦走しているので登る必要がなかったからだ。しかし山名事典に駒形山が掲載されてもう一度訪問する必要が出てきた。駒形山は標高2000mを越えているのでぜひとも山頂を踏んでおきたい山であり、エアリアマップや地形図を見ると登山道は山頂を通っているようだが、実際の道の付き方と地図表記が微妙に異なるのはよくあることで現場で確認する必要がある。

 東京を出発して飯豊を目指す場合、最短ルートは福島側になるのは当然で、小国側から入る場合は東北道を走る距離も長くなるし、一般道の距離も長くなる。山都から入る場合、いくつか登山口があるが、地形図を見ると川入集落から小白布沢沿いにある林道を登って県境を抜ける飯豊トンネルから延びる破線が最短コースに見えた。ここなら登山口の標高は800mを越え、川入よりも断然有利だ。ここで決定かと思ったがエアリアマップを見るとその林道の途中、トンネル手前で左に分岐する林道のどん詰まりにも登山口があって、ここの標高は約800mで横峰に突き上げるのでトンネル入口よりも余分なピークに登る必要も無く楽できそうだ。エアリアマップに書かれているくらいだから普通車でも入れるだろうと予想した。

小白布沢沿いの林道は一般車通行止めだった 川入キャンプ場駐車場

 東北道で白河以北まで走るのは久しぶりで、超久しぶりの磐越道に入って会津坂下手前の新鶴PAで仮眠を取る。中央道や関越道と違ってPAはガラガラだった。4時間半の睡眠後に出発。会津坂下ICで降りて北上、川入集落に到着したが、なんと小白布沢の林道は一般車通行止めで車止めのロープが張ってあった。ここは大規模林道が開設され交通の便がよくなったと思ったら逆に一般車が締め出されていたのだった。仕方ないので川入登山口から上ることにして左の細い道に入り、小さな集落を通過後はダートの林道を進む。林道脇に止まっている車はみな釣りだろう。やがて広い駐車場に到着、ここがキャンプ場で一般車はここまでである。車が数台止まっているが、目的が釣りなのか山なのかは不明だ。

 今日の行程は日帰りにしては強行コースで、できるだけ荷物は減らしたい。今の時期の残雪状況が読めないが、前回の経験でヤバいところに雪は残っていなかったので大丈夫だろうと判断し、ピッケルは持たずにストックを持ち、アイゼンは6本爪とした。食料は多めに持っていく。本当は夜明けと同時に出発したかったが睡眠時間確保のために出発時刻は6時近くなってしまった。さて、戻ってくるのは何時だろうか。簡易的な計測では片道10km近くあったし累積標高差は2000m近くあるだろう。単純な登り一辺倒ならまだマシだがアップダウンが連続すると特に帰りは体力は消耗するし時間もかかる。まあ、暗くなる前には戻れるだろう。

川入キャンプ場から歩きだす 御沢登山口
御沢登山口の案内看板

 キャンプ場から車止めのかかった林道を歩きだし、沢を橋で越えた先が登山口だった。信仰登山の盛んな山だったから昔から利用者が多く道も明瞭だったのだろう、所々は表土が抉れて溝と化していた。標高が低いので気温は高く汗が噴出す。ブナ林で日影だからまだマシだが樹林のおかげで風通しがない影響はあるだろう。それに虫が多くまとわり付く。今回はそれを予想して虫除けを持ってきたが大活躍した。

下五十里 中五十里
上五十里 横峰で残雪が現れる
横峰西側 地蔵山巻道の水場

 尾根を登ると下五十里、中五十里、上五十里と小さな肩の広場を通過、横峰直下でようやく残雪が登場し、山頂の平坦地とその先のなだらかな尾根上に雪が残っていたが、登りが始まると再び夏道に戻る。地蔵山の手前で道が二分し、地蔵小屋跡を経由するルートと西を巻くルートがあるが巻き道を進む。前回は巻き道のどこかで広い雪田があって帰りに直進しすぎて夏道を失った記憶があるが、今回は雪解けが進んで迷いやすい場所は無かった。途中に水場があって冷たい水が豊富に湧き出しており、ここで少し休んで汗を拭い虫除けを塗りなおした。下から1.5リットルの水を持ってきたが飯豊は水が豊富なようでそれほど多くは必要なかったようだ。

地蔵山巻道が終わって稜線に乗る しばらくはなだらかな尾根

 巻き道が終わって三国岳につながる尾根に出ると広い残雪帯となるが、割と分かりやすい地形なので帰りに迷うことはないだろう。その先の小ピークで少々休憩。主稜線方面は薄いガスがかかっているが、たぶん高い場所から見ると雲海になっているような薄い雲で天候が悪化する気配はない。あとはこの雲が今後取れてくれるかどうかで、このままだと飯豊山山頂で展望が楽しめないかもしれない。今時珍しいキスリングを背負った単独男性が下ってきてイヌワシが飛んでいると教えてくれた。素人目にはワシなのかトンビなのか判別不可能だった。

剣ヶ峰へと向かう 剣ヶ峰の一角。あまりヤバい岩場はない
剣ヶ峰から見た三国岳〜種蒔山の稜線

 休憩を終えてなだらかに尾根を登ると徐々に露岩が目立ってくるが、このような場所ほど早く雪が消えるので露岩帯には全く雪は残っていなかった。今回のコースで唯一雪があった場合に厄介と思っていた場所に無かったので、この後もストックやアイゼンの出番はなさそうだ。露岩帯の一角に剣ヶ峰の標識が立っていたがここは地形図にも山名事典にも未掲載だ。そもそもピークではないけど。

三国岳避難小屋 三国岳山頂

 露岩帯が終わって登りきったピークは大きな避難小屋が建っており、ここが三国岳だ。ここまで来てやっと往路の半分の距離だろうか。ただし標高差では8割がた登ったと言えるか。下ってきた単独男性とすれ違い、こちらは休憩してあまり時間が経っていないのでそのまま通過する。

三国岳から見た種蒔山へと続く稜線 三国岳を振り返る
残雪が大きく割れているところも 七森の標識。てっぺんではなく巻道にある

 三国岳から飯豊山の稜線は東側にはまだ雪庇が残り、登山道が稜線上を外れて東側に付いている場所は残雪に埋もれているが、ほぼ稜線沿いにルートがあるので道を失うことはなかった、というか、下山してきた人の足跡が明瞭に残っていたからな。種蒔山にかけてはいくつかのピークを越えていくが一番高そうなピークは巻いてしまい、巻き道の途中に「七森」の標識があった。これも地形図、山名事典に記載が無いピークだ。

もう少しで種蒔山 種蒔山東斜面をトラバース
種蒔山三角点峰直下から見た飯豊山方面。東斜面は広大な残雪帯が続く

 種蒔山の一角にたどり着くと稜線が広がって東斜面の残雪が豊富になり、稜線上を離れて残雪帯を歩く。種蒔山は前回に山頂を踏んでいるので今回はパス。夏道は広範囲で雪に埋もれているが、これだけ雪があれば藪は出ていないので適当にルート取りして問題なかった。

種蒔山の下りにかかると雪は消える 切合小屋が見えた
切合小屋 切合小屋から見た草履塚

 1740m鞍部に下ると雪は消えて夏道を歩き、1750m峰を巻いて切合小屋に到着。小屋周囲は雪が消えて地面が出ており、ベンチの一つに寝転んで足を伸ばしてしばし休憩。稜線上に出てから少し風が出てきていたので小屋の影で風が防げて気持ちよく昼寝できた。この辺は晴れているがここから見る飯豊山〜大日岳の稜線はまだ雲がかかっていた。私が到着する頃には晴れているといいのだが。

草履塚へ残雪帯を登る 夏道はこんな場所も

 ここまでで結構疲れたが横になって疲労感が大幅に軽減され元気に出発する。風が強くTシャツでは微妙に寒いが登りにかかると暑くなる。しばし残雪の上を歩き、夏道が残雪帯を離れて溝と化した笹の海の切り開きに変わると風がなくなるが背丈を越える笹で展望も無くなる。

草履塚山頂 草履塚から見た飯豊山
草履塚から見た大日岳〜飯豊山

 草履塚山頂に出ると森林限界を超えて展望が広がり、大日岳〜飯豊山までの残雪たっぷりの稜線が連なる。まだまだスキーができそうな雪の量だが、ここまでスキーを持ち上げるのが大変すぎるか。いよいよ風が強まり麦わら帽子が風にあおられる。この先は森林限界を超えて樹林が消え、もろに風が吹き付ける稜線が続いた。今の時期はまだ気温がそこそこ低いからいいが、真夏は日影が無く太陽にじりじり焼かれるだろう。

姥権現(1820m鞍部) 姥権現付近から見た草履塚

空白です

御秘所の露岩帯

 1820m鞍部にはお地蔵様があって「姥権現」の標識が立っていた。これから行く先には「御秘所」の案内があったがピークなんかあったかな? 登りにかかってすぐに露岩帯に突入、鎖もかかっているが無雪期なら鎖の出番もなく通過、特に危険を感じることはなかったが不慣れな人は緊張するのだろうか。

御前坂が始まる アルプス級の植生
御前坂から振り返る

 岩稜が終わるとなだらかな尾根に変貌し、本格的な登りが始まる前に「御前坂」なる標識が立っていた。この先は地面を這うハイマツなどアルプスの3000m級の植生が広がり、標高2000mとは思えない光景だ。花崗岩の石と砂礫の登山道はジグザグに上がっていく様もアルプスの稜線を思い起こさせる。もう少し天気が良くて風が弱ければ気持ちよく歩けるのだが。登りで体が発熱しているが風による体感温度低下の方が優勢らしく寒さを感じるようになった。

2070m肩 本山小屋と飯豊山神社
飯豊山神社から見た飯豊山方面

 ようやく傾斜が緩むと2070m肩で、ここまで来れば山頂は間近だ。緩やかに登って2100mピークに本山小屋と飯豊山神社が立っていた。10年以上前のお盆にここで幕営したのが懐かしい。夏は大賑わいだったが今は小屋周辺に人の姿は見えない。稜線東のテント場は残雪に覆われていた。山頂を見ると2人ほど人の姿が見え、駒形山には大きな標識が2本立っているように見えたが、時間が立つと場所が動いたのでどうやら登山者が2名以上いるようだ。目に入る範囲の人間はこれだけらしい。

 ここまで来ると平坦な尾根となり運動量が落ちて体感温度の寒さが身にしみるようになり長袖シャツを着た。しかし少し着るのが遅すぎたようで体調の変調を感じ始めていた。昔はそんなことはなかったのだが、1年くらい前からだったか、体が冷えすぎると強烈な頭痛に襲われるようになり、二日酔いのように(ここ数年は二日酔いになるほど酒を飲んだことは無いが)頭痛と同時に吐き気も感じるのだ。頭痛だけでも強烈だが吐き気が出ると歩くのが困難になる。だから体が冷えすぎないよう注意しなければならなかったのだが、ここ数カ月はこの経験はなかったのですっかり頭から消えていた。

 ヤバい頭痛を感じつつなだらかな尾根を登り切ると1等三角点が立つ飯豊山山頂だった。問題の駒形山はすぐ近くに見えているが、なんと夏道は山頂を通っていた。ということは10年以上前にちゃんと山頂を踏んでいたのだ。それでもこの静かな時期に飯豊を再訪でき無駄ではなかっただろう。駒形山が既登山と判明して今回は飯豊山を最終目的地としてここで休憩して戻ることにした。眺めはいいはずだが大日岳から北股山、地神山はガスが絡んですっきり見えず、他の遠方の山々も空気の透明度が悪く見ることができなかった。

 休憩しているのは2名で単独行の男性らしかった。その後、2名の男性が駒形山方面から上がってきて、休んでいた1人の男性を見てびっくりしていた。お互いに知り合いだったようだ。話を聞いていると単独男性は大ー尾根を上がってきたそうで、桧山沢の橋はまだかかっていなくて渡渉を強いられたという。また、大ー尾根は雪が付いた時期は結構ヤバいところがあって歩く人は一握りの熟達者だけのようで、後から来た2人の話では小国山岳会くらいだろうと言っていた。まさか橋がかかっていないとは知らず、飯豊山荘から登らなくてよかったぁ。飯豊はまだまだシーズンオフだ。単独男性は御西小屋へと、2人の男性は川入へと向かっていった。

 激しい頭痛で歩きたくないが歩かないと帰れない。今日は日帰り装備しか持ってきていないので、体調が悪かろうが何が何でも下山するしかない。横になっている間はまだマシなのだが立って頭の位置が上がると頭痛ガンガンで吐き気がぶり返してくる。体を冷やさないようにしていればそのうち頭痛は治まるだろうが吐き気は治まるまで時間がかかり、こちらの方が足を鈍らせる。川入に到着する時刻は何時だろうか。登りで6時間だったから通常の体調なら4時間くらいで下山できるはずだが、それにプラス2〜3時間かなぁ。まあ、今回はずっと登山道だから暗くなってもヘッドライトで問題なく歩けるだろうけど。とにかく、体力の心配ではなく体調が心配だ。

飯豊山神社の登り返し まだまだ先が長い!
草履塚の登り返し 草履塚を下る。本当なら雪渓を滑って楽しいはずが・・・

 無人の飯豊山神社に登り返し、下りにかかると少しはマシな歩調になるが相変わらず頭痛と吐き気は強烈だ。これで疲労が重なったら本当に動けなくなっていたかもしれない。御秘所の岩場も問題なく通過するが、姥権現からの登りがきつかった! 草履塚山頂では3,4人パーティーが休憩中だったが、たぶん私の顔面は蒼白だったと思う。この頃には天候は回復し飯豊山も快晴となり西風も弱まって快適な気候になっていたが、私の体調は最悪だった。

種蒔山へと登る 三国岳までのアップダウンが恨めしい
飯豊山が遠い まだ三国岳避難小屋は小さい

 無人の切合小屋前のベンチに倒れこむようにひっくり返ってしばし休憩。体を横にすると頭痛も吐き気もずいぶん軽減されるがいつまでもひっくり返っているわけにもいかず、気力を振り絞って立ち上がり、再び頭痛、吐き気との格闘が始まる。時間が経過するに従って頭痛は徐々によくなっていったが吐き気だけはダメで、種蒔山東斜面の残雪上で消化されなかった昼飯をゲロゲロ吐いた。しかしこれで少し胃が軽くなって足も軽くなり、これがチャンスとペースを上げて歩くが、少しの登りになると再び激しい吐き気に襲われてがっくりとペースダウンを余儀なくされる。どうにかこうにか三国岳に到着し、小屋の前の広場でマットを敷いてひっくり返った。強烈な吐き気でデジカメの写真を撮る気力もほとんど無くなっていたが、通過時間等が分からなくなってしまうので休憩に入った時間を記録するため、ひっくり返ったまま小屋の写真を撮影したら小屋が逆さまに写っていた。胃は全く機能しておらず、たぶん水さえも受け付けずに吐いてしまうだろう。歩くエネルギーは体脂肪から供給されるので心配ないが、脱水症状が一番心配だ。これから先は夕方に向かって気温が徐々に低下していくだろうが、できるだけ汗をかかないペースで歩こう、と考えたが、今までのペースはガタ落ちでこの調子なら大丈夫かな。

剣ヶ峰を下る たぶんコブシの花

 剣ヶ峰を下っていくとまだ登りの人の姿があったが、時刻から推測して三国岳避難小屋泊まりだろう。地蔵山巻き道入口でも3人パーティーとすれ違ったが、これが本日最後のお客さんだった。横峰手前の雪原で再びひっくり返ってゲロを吐いて胃を軽くして休憩。吐き気を催したまま歩くのがこれほどつらいとは・・・・。登山口に到着するまでにもう1回くらいひっくり返らないと足が動かなくなるかも、いや、足を動かす気力が無くなるというのが正解か。

 胃の中がほとんど空っぽになった影響か、吐き気は少しずつ軽減されて横峰から先の下りはそれなりに足が動くようになった。しかし経った姿勢が続くと時間経過とともに吐き気が再発、やはり無理をせずにもう1回休憩を入れた方がいい。もうここまで来れば暗くなる前に駐車場に到着できるのは確実だろう。何度も休憩をいれたし大幅ペースダウンだったので先行者に追いつくとは考えもしなかったが前方に鈴の音が聞こえるようになり大ザックを背負った単独男性に追いついてしまった。この人は私が飯豊山山頂に到着したときに休憩していた人で、1時間くらい先に出発したはずだ。大ザックでアップダウンの稜線を歩くのは時間がかかるのだろう。

 追い越したが中五十里でこちらはシートを敷いてひっくり返って休憩に入り、先に行ってもらう。もう一度追いつくかな? だいぶ吐き気はマシになってきて横になると感じなくなるほどだが、昼飯は食わなかったのと同じなのに胃が重くて全く食欲はない。朝飯のカロリーだけでは大幅に不足しているはずで、今日だけで内臓脂肪や皮下脂肪が結構燃焼しただろう。これでは夕飯も食う気は起こらないし、車の運転は上体を起こした状態になるので長時間運転すると吐き気がぶり返しそうなので、駐車場に戻ったら温泉も諦めて速攻で寝るのがいいな。

登山口に到着。明るく見えるがシャッター速度は1/10秒前後 駐車場の車止め。薄暗くなっていた

 最後の休憩を終えて歩き出す。夕方に向かって日が傾き徐々に明るさが減少しているが歩く分には全く支障がない。ただ、樹林中でデジカメを使うときには目いっぱい感度を上げてもシャッター速度が1/10秒くらいまで低下していた。登山口が近づくと先行者の鈴の音が聞こえるようになり、登山口で追いついた。林道は2人並んで話をしながら下っていった。男性は郡山在住であった。やっと駐車場に戻り、すぐにでも車でひっくり返りたいのを我慢して水道で濡れタオルで汗を拭い、着替えてから横になった。男性は家人が車で迎えにやってきて真っ暗になる前に郡山に帰っていった。

 今回はタダでさえきついロングコースだったが、油断して体調不良に陥ってしまい下山できるのか心配になるくらいヤバかった。今後は体を冷やしすぎないよう服装に注意せねば。

 

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